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2020年3月15日日曜日
【第38回 古式砲術射撃大会】
千葉県総合スポーツセンター射撃場にて火縄銃の射撃大会が行われました。
競技種目は4種類で、
<勝抜き戦>
長筒を使用し10分間5発を以ってトーナメント方式で行う。
<古式早撃ち>
長筒を使用し5分間10発までの発射弾数で弾痕数で競う。
同弾痕数の場合は得点で競う。
<古式膝台>
長筒を使用し15分間7発の発射弾数で得点を競う。
<古式短筒>
短筒を使用し15分間7発の発射弾数で得点を競う。
<総合優勝戦>
早撃ち、勝抜き、双方に出場したそれぞれの最上位の選手2名による2分間1発勝負で、同点の場合は弾痕が中心に近いものを上位とする。
今回僕は、勝抜き戦、早撃ち、膝台に出場しました。
特に早撃ちには気合を入れて挑みました。
去年の実績は4位。
去年は早合の運用がイマイチで思う様な結果が出せなかったので、今回はそこを見直しました。
結果は準優勝。
惜しくも1位とは弾痕数1つ差でした。
発射弾数は前回8→今回10
弾痕数は前回5→今回7
今回はかなり手応えがあったので正直へこみました。笑
でも新しい課題も見えたので前向きに頑張っていきます。
次の課題は発射数を減らさずに精度を高める。
短い時間で狙いを定め、射撃する必要があります。
言うは簡単ですが、なかなか難しいでしょう。
練習あるのみです。
やればやるほどに面白いのが火縄銃射撃。
出来なかったことが出来るようになるのは楽しいです。
火縄銃射撃に興味がある方は、
『日本前装銃射撃連盟』
で検索してみてください。
見学だけでもOKです。
お気軽にお越しください。
※諸事情あって写真を掲載出来ないので、
小梅ちゃんの写真をご査収ください。
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2020年3月8日日曜日
火縄銃の値段 後編
『火縄銃の値段 前編』で当時と現代のお金の価値についてある程度理解してもらっている前提で話を進めていきます。
鉄砲伝来
1543年、種子島(現在の鹿児島県)にて種子島時堯(たねがしまときたか)がポルトガル商人より鉄砲2挺を買い付けました。いわゆる鉄砲伝来です。
これを機に日本における戦の戦法が大きく変わっていきました。
これを機に日本における戦の戦法が大きく変わっていきました。
では、一体いくらで火縄銃を購入したのでしょうか。
金額についての資料
まず、火縄銃の価格について触れている資料ですが、僕が参考にしたのは以下の4つです。
1、『鉄炮記』 著・南浦文之 編・南浦文之
2、『南島偉功伝』 著・西村時彦
3、『遍歴記』 著・フェルナン・メンデス・ピント
4、『東洋遍歴記』 著・フェルナン・メンデス・ピント 訳・岡村 多希子
上記資料の中で価格について触れている部分
1、その価の高くしておよび難し
2、鉄炮献上の礼に二千金送った
3・4、お礼に銀1000タエルもらった (注1)
前編の換算率に照らし合わせて計算すると
2、『南島偉功伝』 著・西村時彦
3、『遍歴記』 著・フェルナン・メンデス・ピント
4、『東洋遍歴記』 著・フェルナン・メンデス・ピント 訳・岡村 多希子
上記資料の中で価格について触れている部分
1、その価の高くしておよび難し
2、鉄炮献上の礼に二千金送った
3・4、お礼に銀1000タエルもらった (注1)
前編の換算率に照らし合わせて計算すると
二千金の場合
約724,000×2,000=約14億4,800万円
1挺=約7億2,400万円となる。
銀1000タエルの場合
1タエル=10匁 (注2)
御定相場によると (注3)
銀1匁=約80文=約8,800円
1タエル=約88,000円
1000タエル=約8,800万円
銀1匁=約80文=約8,800円
1タエル=約88,000円
1000タエル=約8,800万円
1挺=約4,400万円となる。
当時「両」という通貨単位が存在していなかったことを考えると、
遍歴記を元にした金額で考えて良いと思うのですが1つ引っかかることがあります。
遍歴記を元にした金額で考えて良いと思うのですが1つ引っかかることがあります。
それは、遍歴記の著者『フェルナン・メンデス・ピント』の人間性です。
『フェルナン・メンデス・ピント』とは
ポルトガル冒険家、遍歴記の著者である。
「遍歴記」はピントが商人として日本を含むアジアやアフリカを旅した記録です。
遍歴記によると鉄砲伝来当時のポルトガル商人の1人だったとされているので、1,000タエルで取引したという記述がとても信憑性の高いもののように思えるのですが、実はピントさんにはある異名があったのです。
それは『ほら吹きピント』
遍歴記に嘘や誤りが多いことからその様に呼ばれています。
せっかく時間をかけてお金のことを調べて計算もしたのに、
最後の方でピントについて調べたらコレでした。笑
最後の方でピントについて調べたらコレでした。笑
せめて、種子島で過ごした時のことだけは真実であってほしいです。
話が少しそれましたが、火縄銃伝来当時の金額についてまとめると。
火縄銃伝来当時の金額
上記の換算率から、
1挺=約4,400万〜約7億2,400万円
となります。
かなり幅がありますね。
参考にした御定相場が1609年頃のものなので、実際はもう少し高い範囲の幅で収まると思います。
そして、これを購入したのが種子島時堯(たねがしまときたか)です。
1挺=約4,400万〜約7億2,400万円
となります。
かなり幅がありますね。
参考にした御定相場が1609年頃のものなので、実際はもう少し高い範囲の幅で収まると思います。
そして、これを購入したのが種子島時堯(たねがしまときたか)です。
時堯は種子島を治める大名でありましたが、この額を出せるだけの財力があったのがすごいですね。
しかも当時16歳でこの決断をしたのだから驚きました。
しかも当時16歳でこの決断をしたのだから驚きました。
この金額が当時の税収入の割合として、どの程度だったのか気になるところですが、資料集めと計算がものすごいことになりそうなので、これについては気が向いたら調べます。笑
おわりに
こうして日本に伝わった火縄銃ですが、
鉄砲伝来から国産化が始まり、入手性が良くなってくると各地で起こる様々な出来事に影響していきます。
秀吉時代には1挺9石で購入できたとか。
それらについてのことも追々書いていくつもりです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
では、また次回!!
注1、「タエル」は15世紀末から19世紀にかけて,ヨーロッパ各地に通用したもとプロイセンの銀貨の名で,ドイツでは長く貨幣単位とされた。
注2、この換算率では全てを律することは出来ないので参考程度に使用すべき。『日本大文典』
注3、1609年(慶長14年)に金1両=銀50目(匁)とする御定相場が公布されたが、実態は市場経済による変動相場であった。『江戸の貨幣物語』
注3、1609年(慶長14年)に金1両=銀50目(匁)とする御定相場が公布されたが、実態は市場経済による変動相場であった。『江戸の貨幣物語』
参考資料
『大内家壁書』『江戸の貨幣物語』『日本銀行金融研究所貨幣博物館』
『鉄炮記』『南島偉功伝』『遍歴記』『東洋遍歴記』『日本大文典』
『貨幣の地域史』
2020年2月21日金曜日
火縄銃の値段 前編

火縄銃といえば『とにかく高価なもの』という印象を持つ方が多いのではないでしょうか。
また、火縄銃っていくらしたの?と気になる方もいるかと思います。
今回はそんな『火縄銃の価格』について紐解いていきます。
日本に火縄銃が伝来した当時は『円』という通貨単位はありませんでした。
給料の支払いや買い物は、金や銀、銅等の金属を成形した作った『貨幣』を用いたり、米、酒、布、海藻などの『物』を物々交換していました。
『金』や『銀』を特定の形に成型したものは、具体的には小判や丁銀など、
銅等で作られた『銭』でいえば寛永通宝や永楽銭という名前は有名ですね。
それらは現代の紙幣や硬貨のように価値が定められていました。
銅等で作られた『銭』でいえば寛永通宝や永楽銭という名前は有名ですね。
それらは現代の紙幣や硬貨のように価値が定められていました。
当時はそれを枚数で交換したり『匁』という重さで表現して量で取引をしたり、給料などは銭に加えてお米や布、海藻など物を支給していました。
それではそれらは現代の通貨単位『円』に換算するといくらになるのでしょうか。
結論から言うと、ずばりこの金額!という換算は出来ません。
理由は主に
・単に貨幣だけの取引ではなく、物々交換も行われていたから。
・土地によって同一の価値基準がなかったから。
・価値の変動差が大きかったから。(時価といっても過言ではないでしょう)
・単に貨幣だけの取引ではなく、物々交換も行われていたから。
・土地によって同一の価値基準がなかったから。
・価値の変動差が大きかったから。(時価といっても過言ではないでしょう)
戦国時代の貨幣は様々な種類が存在していましたが、
共通の通貨単位『文』や『貫』、『匁』などを用いていました。
もちろんそれぞれに対するレート(交換比率)も存在しています。
共通の通貨単位『文』や『貫』、『匁』などを用いていました。
もちろんそれぞれに対するレート(交換比率)も存在しています。
しかしそれらは現代と違い、作物や金銀の取れ高や、戦の有無により価値の変動の影響を受けやすかったり、地域によって独自の交換比率が存在していました。
わかりやすく例えると、円とドルの価値が常に変動しているのと同じです。
刻一刻と価値が変動していますよね。
刻一刻と価値が変動していますよね。
とはいえ、当時の給料事情や取引の記録は多からず存在するのでおおよその金額は算出できます。
例えば、江戸時代では、金一両=4,000文という指標や、
戦国時代の職人の日当が100文~120文だったという資料があります。
戦国時代の職人の日当が100文~120文だったという資料があります。
これもとに計算すると一文は大体180円。
これは現代の職人の日当を仮に20,000円として、先の資料にある戦国時代の職人の日当の中間、110文で計算しました。
これは現代の職人の日当を仮に20,000円として、先の資料にある戦国時代の職人の日当の中間、110文で計算しました。
戦国時代の『文』の価値と江戸時代の『文』の価値が全く同じというわけではありませんが、仮に同じとした場合、金一両=約720,000円と換算出来ます。
他にも、戦国時代の足軽の年俸が『一石』だったという資料もあります。
石(こく・ごく)とはお米の取高や量を表す単位です。
一石はおよそ米約150kgです。
2019年12月時点の米相場で換算すると、年俸約65,130円となります。
超ブラックですね。笑
超ブラックですね。笑
逆に年収を400万円とした場合で米の価格を導くと、
米1kg=約26,000円となり、とても高級なお米になります。
現代にこんなお米が存在したら1度食べてみたいです。
米1kg=約26,000円となり、とても高級なお米になります。
現代にこんなお米が存在したら1度食べてみたいです。
何しろ、米を支給することで人を雇うことができる時代です。
米がどれだけ貴重な物だったか想像できますね。
米がどれだけ貴重な物だったか想像できますね。
この様に、時と場合によってお金や物の価値は常に変動しています。
昔のお金や物の価値について理解していただけたと思いますので、
次回は火縄銃の値段を現代の価格に換算するといくらになるかを書いていきます。
幸いなことに、火縄銃伝来当初のことについて書かれている資料がいくつか存在していました。
次回は火縄銃の値段を現代の価格に換算するといくらになるかを書いていきます。
幸いなことに、火縄銃伝来当初のことについて書かれている資料がいくつか存在していました。
それではまた次回の記事を楽しみにしてください。
参考資料
『大内家壁書』『江戸の貨幣物語』『日本銀行金融研究所貨幣博物館』
『鉄炮記』『南島偉功伝』『遍歴記』『東洋遍歴記』『日本大文典』
『貨幣の地域史』
『大内家壁書』『江戸の貨幣物語』『日本銀行金融研究所貨幣博物館』
『鉄炮記』『南島偉功伝』『遍歴記』『東洋遍歴記』『日本大文典』
『貨幣の地域史』
2019年10月27日日曜日
【第42回全日本前装銃射撃競技選手権大会】
【第42回全日本前装銃射撃競技選手権大会】
本日は千葉県総合スポーツセンター射撃場にて
火縄銃の大会がありました。
国内4大会ある中で1番大きなタイトルです。
1年前、12位という結果に終わりました。
それがとても悔しくて、
この1年間優勝を目指して練習してきました。
そして今回の結果は、総合3位入賞でした。
目標にしていた優勝には届きませんでしたが、
自己ベストを更新した嬉しさ、
今の自分の実力が確認できたこと、
去年以上に悔しいと思ったこと。
結果がわかったその瞬間から
新しい何かがふつふつと湧き上がるのを感じました。
この気持ちをエネルギーに換えて
来年の選手権大会に向け、また一から精進します。
ではまた次回‼
本日は千葉県総合スポーツセンター射撃場にて
火縄銃の大会がありました。
国内4大会ある中で1番大きなタイトルです。
1年前、12位という結果に終わりました。
それがとても悔しくて、
この1年間優勝を目指して練習してきました。
そして今回の結果は、総合3位入賞でした。
目標にしていた優勝には届きませんでしたが、
自己ベストを更新した嬉しさ、
今の自分の実力が確認できたこと、
去年以上に悔しいと思ったこと。
結果がわかったその瞬間から
新しい何かがふつふつと湧き上がるのを感じました。
この気持ちをエネルギーに換えて
来年の選手権大会に向け、また一から精進します。
昔の大会の記録
中心の円が直径8㎝で10点
ではまた次回‼
2019年10月20日日曜日
【第31回 国宝松本城 古式砲術演武】
【第31回 国宝松本城 古式砲術演武】
10月20日に松本城本丸庭園にて、
火縄銃の演武をさせていただきました。
駿府鉄砲衆は、16回目の参加となります。
松本市出身の故赤羽道重氏が生涯をかけて集めた火縄銃。
火縄銃は松本市に寄贈され、
これを機にこの古式砲術演武が始まりました。
赤羽氏の火縄銃を体感して欲しいという思いは、
今年も受け継がれています。
また、これから先もずっと続いてほしいです。
僕に出来ること、限りなくやっていこうと思います。
お祭りに参加された、各鉄砲隊の皆様、
準備等にご尽力いただいた関係者の皆様に感謝します。
2019年9月9日月曜日
富士宮市長表敬訪問
本日は富士宮市長の元へ先日の火縄銃の大会での優勝を報告しに行 きました。
市長はそもそも火縄銃の大会があることに驚いておりましたが、
実弾射撃競技に興味を持たれていた様子でした。
地元のお祭りで演武を出来るように取り計らってくれたのも市長だ ったとのことで、
僕がこの世界に興味を持つキッカケにも深く関わってくださってい たことに驚きました。
また、 義元左文字復元プロジェクトの進捗にも触れていただきました。
富士宮も義元公と所縁のある土地のひとつなので、 気にしてくださっていました。
ありがたいことです。
火縄銃や日本刀を始め、日本の伝統や技術に関わる分野で、
来年は火縄銃射撃の世界大会に挑戦しようと思っています。
まだやらなければいけないこと、
出来るようにならなければならないことがたくさんありますが、
ではまた次回!!
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