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2020年6月13日土曜日

夢に生きる

常々やりたいことだけやって生きていきたいと思っている佐野です。

「やりたいことだけやって生きたい」というと
「甘っちょろい考えだな」という意見が聞こえたりしますが
僕は逆だと思っています。

シンプルに好きな事だけやって生きていくなんて現実的ではなく、
パトロンやスポンサー無しでは早々難しいと思います。
(ただしその限りではない)

自分一人の力で好きなことをやって生きている人がいたら、
その人は間違いなく人の何倍も努力しているだろうし、
努力していないとしたらとてつもない才能の持ち主だと思います。

ただ、やりたいことで生きていく方法は、
「支援を受ける」か「才能を持っているか」の
2パターンだけではないと思っていまして、

共通の好きな事持っている人と「一緒に夢に向かって行動する」という方法があると考えます。

僕のやりたいことが誰かの楽しみであったり、
誰かのやりたいことが僕のやりたいことと一致していたとして、
協力して取り組むことができたら「好きなことで生きていくこと」も実現性が高まると思っています。


ふとそんなことを思い、
単純にやりたいことをやったり、
一緒に行動できる仲間を集めたらいいのではないかと改めて思った今日の昼下がり。


「やりたいこと」と「やらなくてはいけないこと」がたくさんあって、
けれどもすべての人には平等に24時間しかないんですよね。

そうなってくると、僕一人でやったら1日かかることでも、
2人でやったら半日で終わる可能性があるんだとしみじみ感じました。
仲間がたくさんいたらもっとスピードを得られるんだ。とも。

しかも喜びも苦しみも分かち合えるなんて最高です。
お金と時間をかけた以上に良いモノが得られる予感しかありません。

今までになかった仕組みや商品を思い描き、
それに向かって挑戦することは楽しいことだけではなく不安もついて回ると思います。


そんな時に相談したり、助け合える仲間がいたら最強だと思います。

正直、出来るかできないかなんて僕にもわかりません。
でも、やろうと思って行動しなければ一生できないままなんですよね。

限界を勝手に決めることはやってはいけないことだと思っていて、
その思考があらゆる可能性をつぶします。

人間は妄想出来ることは再現できる生き物だと思っているので、
これからもいろいろと楽しいことを妄想して生きていきます。

そして理想の世界を再現できるように人生を走り抜けます。

切磋琢磨して助け合って支え合って、
みんなが幸せになる世界ができたらいいなと思います。



ではまた次回!!



2020年4月28日火曜日

オンライン飲み会をやって感じたこと

先日、オンライン飲み会をやりました。
この手の記事はすでに既視感ありまくりかもしれませんがご容赦ください。
まず感じたのが、自宅にいるのに遠くの人と繋がれるという楽しさ。
電話でもいいじゃん。という人もいますが、やはり相手の表情を見ながら話せるのはいいです。
それから、家から出るのが億劫だ、、、というときにも重宝しますね。
事前に好きなものを用意しておけば自宅が居酒屋です。
不便だなと感じたところは、みんなが同時に話せないところ。
相鎚ですら、雑音になりかねません。
基本的には誰かが話しているときはその他は注目する形になります。
それはオンラインでも当然といえば当然なんですけどね。
でも、これから似たようなサービスはどんどん出てくると思いますので、上位互換品に期待します。
でも、やっぱり一番いいのは直で会って飲み会やることですね!
早くみんなと乾杯したい!!
そして今回のオンライン飲み会では、先日の有料記事で得た収益で地元飲食店のテイクアウトを利用させていただきました。
収益無くてもそうするつもりだったのですが、やはり誰かの気持ちをいただき、それによって得たものは普通に購入するのとはまた違う喜びがありました。
貴重な体験をさせていただきありがとうございます。
オンライン飲み会に参加してくださった方たちに共通することなんですが、みなさん愛に溢れていますね。

お金をたくさん持っている、もっていないとか関係なく、

愛を分けることが出来る人が最強だと思いました。
僕もそういう人間になりたい。と思いました。
そのためには、やはりいろんな方のお話を聞いて、価値観や考え方を吸収しないと!
今後も定期的にオンライン飲み会や交流会を開催する予定ですので、
その際はよろしくお願いいたします。
では、また次回!!

2020年4月12日日曜日

『やりたいこと』と『できること』

今回は僕の活動の流儀的なものを書いてみます。
実際に行った『手作りダンボール甲冑教室』の構想から開催までを赤裸々に書きます。恥ずかしいので最後まで読まないでください。笑

構想

僕は活動をする上でまず理想を大きく描きます。
じつはこの構想(という名の妄想)が一番楽しかったりします。

こんなイベントがあったら楽しそうだな。
こんな商品はおもしろいな。

基本的には自分が楽しいこと、面白く思えることが土台で始まります。

なぜなら僕の活動は基本的に身銭を切って行う場合がほとんどなので、
『楽しさ』というご褒美がないとモチベーションが保てません。笑

ダンボール甲冑教室においては、
子供たちに歴史や伝統の良さを伝えたい

自分も楽しみたい

子供たちも自分も楽しいことは何だろう
という感じで構想が始まりました。

歴史や伝統を伝えるといっても、教師でも職人でもない僕の場合は火縄銃の話を軸に展開していく方法しか自信をもって提供できないのも事実です。
そうなるとまず外せないのが戦国時代に係わることです。

さらに、『どうやって社会貢献できるか』。
当時はそれを強く考えていたと思います。

そしてこれを思いついたのが6月頃だったのもあり、
夏休みの自由研究的な感じになったら親御様にも嬉しいのではないか?
となりました。

そこでGoogle先生の出番です。
自由研究について調べていたら、ダンボール甲冑を見つけたわけです。

コレだ!!
すぐに決まりました。
ここで僕の楽しめるポイントは、
1、子供が好き (自己満)
2、戦国時代の話ができる (火縄銃の話がしたい!!) (自己満)
3、社会貢献できる (自己満)

あれ?僕は自己満のために活動をしているのかな???
とはいえ自分の楽しいことで誰かの役に立てるならこんなに良いことはありませんね。

このダンボール甲冑教室には、
自分の『やりたいこと』『できること』が見事に揃っていました。

計画

やることが決まったら計画をたてます。
これは今も苦手な作業です。

いつ、どこで、どんな規模で、

これくらいざっくりした計画なら立てられるのですが、
材料費、場所代、その他諸々の経費計算が苦手なのです。

しかも当時は自主企画主催イベントが初めてということもあり、
いま振り返って思うことは、『詰めが甘すぎ』その一言に尽きます。

当時の僕の計画では、材料費と場所代を参加人数で割った金額を参加費として負担してもらえればいいかな。くらいしか考えていませんでした。
というか考えが及びませんでした。

なので計画で決めたことは、
会場、夏休み期間中にやる、会場の定員目一杯、参加費だけでした。

上記の通り、これは計画とは言いません。
良い子の皆さんはマネしないようにお気を付けください。

準備

次に準備の段階です。
まず始めたのが場所決め、
(そもそも開催の2か月前に動き出している時点で遅い。)
幸いにも地元の公共施設に空きがあったため確保できました。

次に材料手配。
なるべく多くの子供たちに楽しんでもらおうとイキりにイキってました。
会場の定員が30名でしたので、すぐに30人分の甲冑を注文しました。
はい、そうです。保護者の人数カウントしてない!!!
必要以上に注文したことに気が付いたのはチラシを作っていた時なので、
当時30人分のダンボール甲冑に囲まれた僕はまさに本能寺の信長でした(意味不明)

次にチラシ作り。
これもGoogle先生にお世話になりました。
現代では無料テンプレートというものがたくさんあったので、
それを元にすぐにつくることができました。

そして集客、これが何気に大変です。
地元の小学校関係者には知り合いがいませんでしたので、職場の方や知り合いに声をかけて参加していただきました。

蛇足 (予算的にも蛇足でした)
見本としてダンボール甲冑を組み上げました。
大人の本気を見せてやろうという大人げなさを発揮し、
スプレー、マスキングテープを使って塗装しました。
作りこみすぎて見本になっていませんでしたが、ダンボール甲冑の可能性を伝えることはできたかと思います。
画像1
画像2
めちゃくちゃ楽しんでるの図

開催

材料の発注数間違いという最大の問題がありましたが、当日を迎えました。
参加費は当初の予定通り一人分の材料費+場所代のみ。
(ちなみに子供たちが使うポスカやその他諸々の雑費も予算に入れていなかったため自己負担しました。)

進行については特に考えていなかったので、その時の雰囲気に合わせて進めました。

当日に気を付けなければならないのは、荷物の搬入と会場準備です。
これが当日のピークだと思っています。

幸いなことに、お手伝いをして下さる方がいてくださったので搬入から進行・撤収まで問題なく進めることができました。
それでも、もし30人を一人で相手すると想像したらゾッとするぐらい精神的には余裕がありませんでした。

あとアンケートも事前に用意しました。
子供たちからの反応は概ね好評でした。
毎年の恒例行事になったらいいなと思います。
次回以降は赤字にならないように頑張ります。笑
画像3

気づいたこと

僕が活動をするうえで重きをおくのは「楽しい」かどうか。
だから趣味と同じように時間とお金を消費してしまいます。
でも今後、歴史や文化を伝えていくことを仕事にする場合、それだけではやっていけません。
自分も参加者もプラスになるようなコンテンツを考えつつ、やりたいことをやっていく必要があります。

今回『やりたいこと』はできました。ですが、『できること』については、
当時のダンボール甲冑教室において開催は『できていた』が自分もプラスになるようなコンテンツには『できていなかった』。
少なくとも赤字にはしてはいけなかった。

子供たちの笑顔や発想力というかけがえのないものを頂けたのは良いことですが、やはり今後は継続的に活動する方法も考えていく必要があります。

『できること』を増やしていく意味でも、
『やりたいこと』をやっていくためにも、これからは今までとは違うこともやっていかなければいけないと強く感じるきっかけとなりました。

自分ひとりで抱え込まないで、時には周りに頼るのも大事なことだと気付きました。
皆さんも何かやるときはできるだけ多くの人を巻き込むといいですよ。

成功率がグンと上がると思います。

今も仲間と新しいコンテンツを作っています。
皆さんに楽しんでもらえたらいいなと思っています。
収益につながるかどうかは進めていきながら考えます。笑

では、また次回!!

2020年4月3日金曜日

新型コロナウイルスと環境の変化


2月頃から始まった新型コロナウイルスを当初はさほど問題視していなかった。
しかしこの記事を書いている今、ウイルスは世界中を恐怖で支配している。

人々は感染を恐れ、自宅に引きこもり、
外出しなくても済むように食品や生活用品を買い占めた。

各地で行われるはずのイベントは中止。
卒業式等の学生のイベントも中止、登校すらままならない。

感染拡大を防止するために不要不急の外出は自粛要請され、
中小飲食店は倒産したりその危機に面している。

今でも世界のどこかでは、いまだに危機感もなく集会などの催しに参加していたり、
電車やバスも動いている。

確かに、このような事態でも働かなければいけない職種があるのは理解しているが、
はたしてこのような環境で感染拡大をどこまで抑えることができるのか。



開催予定のイベントが無くなり、楽しみを奪われた人。
イベントを生業としている人は収入を奪われた。

週末の娯楽でもある飲食店では従来の活気が見られないところが多く感じる。


外出自粛は厳しくなり、帰省すらままならない。
結婚式も出来ない。

人もたくさん亡くなった。
お葬式も出来ない状況だ。


人々は終わりの見えない状況に疲弊している。
余裕がなくなっている。

普段通りの振る舞いができない。
こういう時に本性が出るともいう。

コロナが憎い。


今まで順調だったすべてが崩されていく。

政治家も一生懸命に働いているとは思うけど、満足している国民は少ない。

多分それは初めから助けてもらう気でいるからだと思う。
僕もはじめはそうだった。

だけど考えてみたら政治家も国民の一人だ。
決定する力を持っていたり、発言力が大きいという国民。

今、不平不満ばかり言っていても現状は変わらない。
自分のできることをやるしかない。

自分からは何もせずに誰かのやっていることに文句ばかり言っている人はどうなんだろうか。

会社だろうが、サークルだろうがそんな人は嫌われるし
いざという時に誰も助けてはくれないだろう。

もし、今の対策に不満があるなら代替案を考えればいい。
考えたくないなら従うほかない。

従はなくてもいいが、文句は言わない方がいい。

自分のお金と時間を使って誰かのためにマスクを作る中学生がいる。

生活用品の空になった陳列棚をみてパニックになった人を落ち着かせるために、
工場、倉庫のたくさんの在庫の写真を拡散する人がいる。

感染症に一番近いところで、恐怖と闘いながら命を救っている人がいる。


自分にできることからやっていこう。
まずはやれることを考えてみよう。

そして近くにいる人たちと助け合っていこう。


これは歴史の授業で勉強した「あの時」をリアルタイムで体験していると考えよう。

氷河期では恐竜が絶滅し、大飢饉ではたくさんの人々が無くなった。
流行り病も何度もあった。

今もまさにその時代の中にいる。

このまま戦国時代に突入するのか、平和な世界を保てるかは、
今生きている僕らの手にかかっている。

自分だけじゃない、みんな今は大変な時。

少しでも笑顔が多い環境に身を置きたいから、
どうしたらそんな世界がつくれるかを考えながら生きていくことにする。

自分のやりたいこと、目標はそのステージの次にあると思っている。


みんな頑張ろう!


令和2年4月3


2020年3月15日日曜日

【第38回 古式砲術射撃大会】


千葉県総合スポーツセンター射撃場にて火縄銃の射撃大会が行われました。

競技種目は4種類で、
<勝抜き戦>
長筒を使用し10分間5発を以ってトーナメント方式で行う。


<古式早撃ち>
長筒を使用し5分間10発までの発射弾数で弾痕数で競う。
同弾痕数の場合は得点で競う。


<古式膝台>
長筒を使用し15分間7発の発射弾数で得点を競う。


<古式短筒>
短筒を使用し15分間7発の発射弾数で得点を競う。


<総合優勝戦>
早撃ち、勝抜き、双方に出場したそれぞれの最上位の選手2名による2分間1発勝負で、同点の場合は弾痕が中心に近いものを上位とする。

今回僕は、勝抜き戦、早撃ち、膝台に出場しました。
特に早撃ちには気合を入れて挑みました。
去年の実績は4位。

去年は早合の運用がイマイチで思う様な結果が出せなかったので、今回はそこを見直しました。

結果は準優勝。
惜しくも1位とは弾痕数1つ差でした。
発射弾数は前回8→今回10
弾痕数は前回5→今回7

今回はかなり手応えがあったので正直へこみました。笑

でも新しい課題も見えたので前向きに頑張っていきます。

次の課題は発射数を減らさずに精度を高める。

短い時間で狙いを定め、射撃する必要があります。
言うは簡単ですが、なかなか難しいでしょう。
練習あるのみです。

やればやるほどに面白いのが火縄銃射撃。
出来なかったことが出来るようになるのは楽しいです。

火縄銃射撃に興味がある方は、
『日本前装銃射撃連盟』
で検索してみてください。

見学だけでもOKです。
お気軽にお越しください。





※諸事情あって写真を掲載出来ないので、
小梅ちゃんの写真をご査収ください。

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2020年3月8日日曜日

火縄銃の値段 後編

『火縄銃の値段 前編』で当時と現代のお金の価値についてある程度理解してもらっている前提で話を進めていきます。

鉄砲伝来

1543年、種子島(現在の鹿児島県)にて種子島時堯(たねがしまときたか)がポルトガル商人より鉄砲2挺を買い付けました。いわゆる鉄砲伝来です。
これを機に日本における戦の戦法が大きく変わっていきました。
では、一体いくらで火縄銃を購入したのでしょうか。

金額についての資料

まず、火縄銃の価格について触れている資料ですが、僕が参考にしたのは以下の4つです。
1、『鉄炮記』 著・南浦文之 編・南浦文之
2、『南島偉功伝』 著・西村時彦
3、『遍歴記』 著・フェルナン・メンデス・ピント
4、『東洋遍歴記』 著・フェルナン・メンデス・ピント 訳・岡村 多希子

上記資料の中で価格について触れている部分

1、その価の高くしておよび難し
2、鉄炮献上の礼に二千金送った
3・4、お礼に銀1000タエルもらった (注1)

前編の換算率に照らし合わせて計算すると

二千金の場合


一両=約724,000円
約724,000×2,000=約14億4,800万円

1挺=約7億2,400万円となる。


銀1000タエルの場合


1タエル=10匁 (注2)
御定相場によると (注3)
銀1匁=約80文=約8,800円
1タエル=約88,000円
1000タエル=約8,800万円
1挺=約4,400万円となる。

当時「両」という通貨単位が存在していなかったことを考えると、
遍歴記を元にした金額で考えて良いと思うのですが1つ引っかかることがあります。
それは、遍歴記の著者『フェルナン・メンデス・ピント』の人間性です。

『フェルナン・メンデス・ピント』とは

ポルトガル冒険家、遍歴記の著者である。
「遍歴記」はピントが商人として日本を含むアジアやアフリカを旅した記録です。
遍歴記によると鉄砲伝来当時のポルトガル商人の1人だったとされているので、1,000タエルで取引したという記述がとても信憑性の高いもののように思えるのですが、実はピントさんにはある異名があったのです。
それは『ほら吹きピント』
遍歴記に嘘や誤りが多いことからその様に呼ばれています。
せっかく時間をかけてお金のことを調べて計算もしたのに、
最後の方でピントについて調べたらコレでした。笑
せめて、種子島で過ごした時のことだけは真実であってほしいです。

話が少しそれましたが、火縄銃伝来当時の金額についてまとめると。

火縄銃伝来当時の金額

上記の換算率から、

1挺=約4,400万〜約7億2,400万円

となります。

かなり幅がありますね。
参考にした御定相場が1609年頃のものなので、実際はもう少し高い範囲の幅で収まると思います。


そして、これを購入したのが種子島時堯(たねがしまときたか)です。
時堯は種子島を治める大名でありましたが、この額を出せるだけの財力があったのがすごいですね。
しかも当時16歳でこの決断をしたのだから驚きました。
この金額が当時の税収入の割合として、どの程度だったのか気になるところですが、資料集めと計算がものすごいことになりそうなので、これについては気が向いたら調べます。笑

おわりに


こうして日本に伝わった火縄銃ですが、
鉄砲伝来から国産化が始まり、入手性が良くなってくると各地で起こる様々な出来事に影響していきます。
秀吉時代には1挺9石で購入できたとか。
それらについてのことも追々書いていくつもりです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
では、また次回!!


注1、「タエル」は15世紀末から19世紀にかけて,ヨーロッパ各地に通用したもとプロイセンの銀貨の名で,ドイツでは長く貨幣単位とされた。
注2、この換算率では全てを律することは出来ないので参考程度に使用すべき。『日本大文典』

注3、1609年(慶長14年)に金1両=銀50目(匁)とする御定相場が公布されたが、実態は市場経済による変動相場であった。『江戸の貨幣物語』

参考資料


『大内家壁書』『江戸の貨幣物語』『日本銀行金融研究所貨幣博物館』
『鉄炮記』『南島偉功伝』『遍歴記』『東洋遍歴記』『日本大文典』
『貨幣の地域史』

2020年2月21日金曜日

火縄銃の値段 前編

火縄銃といえば『とにかく高価なもの』という印象を持つ方が多いのではないでしょうか。
また、火縄銃っていくらしたの?と気になる方もいるかと思います。
今回はそんな『火縄銃の価格』について紐解いていきます。
日本に火縄銃が伝来した当時は『円』という通貨単位はありませんでした。
給料の支払いや買い物は、金や銀、銅等の金属を成形した作った『貨幣』を用いたり、米、酒、布、海藻などの『物』を物々交換していました。
『金』や『銀』を特定の形に成型したものは、具体的には小判や丁銀など、
銅等で作られた『銭』でいえば寛永通宝や永楽銭という名前は有名ですね。
それらは現代の紙幣や硬貨のように価値が定められていました。
当時はそれを枚数で交換したり『匁』という重さで表現して量で取引をしたり、給料などは銭に加えてお米や布、海藻など物を支給していました。
それではそれらは現代の通貨単位『円』に換算するといくらになるのでしょうか。
結論から言うと、ずばりこの金額!という換算は出来ません。
理由は主に
・単に貨幣だけの取引ではなく、物々交換も行われていたから。
・土地によって同一の価値基準がなかったから。
・価値の変動差が大きかったから。(時価といっても過言ではないでしょう)
戦国時代の貨幣は様々な種類が存在していましたが、
共通の通貨単位『文』や『貫』、『匁』などを用いていました。
もちろんそれぞれに対するレート(交換比率)も存在しています。
しかしそれらは現代と違い、作物や金銀の取れ高や、戦の有無により価値の変動の影響を受けやすかったり、地域によって独自の交換比率が存在していました。
わかりやすく例えると、円とドルの価値が常に変動しているのと同じです。
刻一刻と価値が変動していますよね。
とはいえ、当時の給料事情や取引の記録は多からず存在するのでおおよその金額は算出できます。
例えば、江戸時代では、金一両=4,000文という指標や、
戦国時代の職人の日当が100文~120文だったという資料があります。
これもとに計算すると一文は大体180円
これは現代の職人の日当を仮に20,000円として、先の資料にある戦国時代の職人の日当の中間、110文で計算しました。
戦国時代の『文』の価値と江戸時代の『文』の価値が全く同じというわけではありませんが、仮に同じとした場合、金一両=約720,000円と換算出来ます。
他にも、戦国時代の足軽の年俸が『一石』だったという資料もあります。
石(こく・ごく)とはお米の取高や量を表す単位です。
一石はおよそ米約150kgです。
2019年12月時点の米相場で換算すると、年俸約65,130円となります。
超ブラックですね。笑
逆に年収を400万円とした場合で米の価格を導くと、
米1kg=約26,000円となり、とても高級なお米になります。
現代にこんなお米が存在したら1度食べてみたいです。
何しろ、米を支給することで人を雇うことができる時代です。
米がどれだけ貴重な物だったか想像できますね。
この様に、時と場合によってお金や物の価値は常に変動しています。
昔のお金や物の価値について理解していただけたと思いますので、
次回は火縄銃の値段を現代の価格に換算するといくらになるかを書いていきます。
幸いなことに、火縄銃伝来当初のことについて書かれている資料がいくつか存在していました。
それではまた次回の記事を楽しみにしてください。

参考資料
『大内家壁書』『江戸の貨幣物語』『日本銀行金融研究所貨幣博物館』
『鉄炮記』『南島偉功伝』『遍歴記』『東洋遍歴記』『日本大文典』
『貨幣の地域史』

2020年1月11日土曜日

成人式のあれこれ



現在日本では、1月第二月曜日が『成人の日』ですが、そのルーツはご存知でしょうか。
そもそも成人式とは、式を行う年度内に満20歳となる人々を対象に、新たに成年者になったことを自治体としてお祝いする行事としています。

成人の日が現在の日程となる以前は、1月15日が成人の日でした。
1月15日が「成人の日」として祝日になったのは、1949年。
おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげますという趣旨の通過儀礼です。
では、なぜ1月15日だったのでしょうか。
それは、江戸時代以前、男子の「元服(げんぷく)()」が1月15日に行われていたことに由来しています。

旧暦、太陰太陽暦時代の暦では毎月15日はほぼ満月であり、
特に1月15日は、その年の初めての満月を祝う「小正月」です。
つまり、この特別な満月の日に、一家の行く末を託す男子の「元服」をおこなっていたのです。

明治六年(1873)に、それまでの太陰太陽暦から現在の太陽暦が採用されました。
その際、節句や暦の雑節は太陽暦の同じ月日に移動し、それまで行事がおこなわれていた時期と約一ヶ月ほどのズレが生まれました。

それによって、本来その行事が持つ意味合いが薄れてしまったように感じます。
たとえば、3月3日の「桃の節句」。
現在、この日にちには露地で桃は咲いていません。
旧暦時代には、これより約一ヶ月後の4月上旬にあたりますので、誰もが桃の花を楽しむことができたわけです。
元服の儀をおこなった小正月も旧暦時代は、現在の2月中旬。
立春を過ぎ、春の足音がハッキリと聞こえてくるころにあたり、若者が大人としての一歩を歩みだすのにふさわしい時節だったと言えるでしょう。

さて、それでは「元服(げんぷく)」とはどういうものなのでしょうか。

元服とは、奈良時代以降の日本で成人を示すものとして行われた儀式で、
(かんむり)烏帽子(えぼし)を着用しました。これにより晴れて大人と認められます。

今でも皇室では、皇太子が、青年皇族の一員であることを内外に宣言し冠を授けられる「成年(せいねん)()加冠(かかん)()」と呼ばれる儀式があります。

また、古来武家には「烏帽子(えぼし)(おや)」という役割がありました。
元服を行う際に特定の人物に依頼して仮親になってもらい、当人の頭に烏帽子を被せる役を務めることが通例とされていました。
この仮親を「烏帽子(えぼし)(おや)」と呼び、被せられた成人者を「烏帽子子(えぼしこ)」と呼びました。
また、この際に童名・幼名を廃して、烏帽子親が新たな(いみな)を命名する場合がありました。
名前をもらうことを「偏諱(へんき)賜る(たまわ)」といい、以降(いみな)は烏帽子親からの偏諱(へんき)を受けることが多くなりました。
たとえば、松平元康(後の徳川家康)は今川義元から「元」の字をもらっています。
ちなみに幼名は「竹千代」でした。
またこの儀式は元服を迎える若者に冠を授けるだけでなく、烏帽子親はその若者の後見役(こうけんやく)を担ったのです。
下克上の戦国時代などは、誰に息子の烏帽子親になってもらうかということは、その家の将来の浮沈をも決める重要な選択だったわけです。

古来「元服の儀」では、多くの大人たちの中で若者が元服を宣言し、大人たちがそれを承認するというものでした。
武家であれば、元服を迎えたことで戦場に赴くことも許されます。
その力が確かにあるかどうかを大人たちは厳しい目で見極め、それを認めることではじめて自分たちの仲間の一員として、相互扶助の輪に加えたのです。

現在、自治体が開催する「成人式」では、多くの新成人がほんの数少ない大人たちを目の前にしておこなわれています。
本来の「元服」は、親兄弟はもちろん親戚縁者や後見役を担う職責者なども加わり、多数の大人の前でとりおこなわれた儀式です。

「一定の年齢に達したから一人前の大人である」ことを認めたのではなく、
大人になることを許されたというのが本来の意味合いです。
今少し、成人式のあり方を考え直しても良いのでは、と感じます。

大人の一員となったことを、より多くの大人たちの中で感じていただくことが、真の大人への第一歩。
「成人の日」は、単に自治体の成人式がおこなわれる日ではありません。
新成人の皆さまにとって大人への大切な一歩を刻む、大切な祝日です。

一人の大人として、これからその振る舞いが子供たちの見本となります。
だれからも好かれるような人になって欲しいとは願いません。
ですが、「自分自身が尊敬できるような人間」へなって欲しいと思います。
多くの新成人の皆様にとって素敵な一日となりますように。