検索キーワードをどうぞ。

2017年5月5日金曜日

柿本城と満光寺


愛知県新城市下吉田字田中

柿本城と満光寺に行ってきました。






















大河ドラマ「井伊直虎」の影響で急ピッチで作業された状態でした。

写真ではわかりにくいと思いますが遺構が結構くっきり残っていました。
今後も観光用に整備されることを期待します。


















満光寺


伝承によれば、元亀年間(1570~73)、

甲斐の武田の軍勢に敗れた家康の一隊が落ち延びてきた。
家康の一隊は夕方のことで疲れも激しく途方に暮れていたが、
その時、満光寺が目にとまり、住職に頼み、仮泊させてもらうことにした。
事情を聴き、気の毒に思った住職が快く受けていてくれたので、
家康は大変喜び、住職に礼を述べ、さらに住職に、
「事情があって明朝は早立ちしたい、一番鶏が鳴いたら必ず起こしてほしい」 
と、頼んで床に就いた。
だが、その日に限ってまだだいぶ暗いうちに寺の鶏が鳴きだした。
随分と早く鳴くものだと住職も不思議がったが、家康と約束していたので、
家康を起こした。家康は厚く住職に礼を言って大急ぎで闇の中を出発した。
すると間もなく、家康討伐のために追いかけてきた武田勢の一隊が満光寺を包囲した。
しかしその時には家康一隊は無事に安全な場所まで逃げていたのであった。
こうして鶏のおかげで家康は危機を脱することができたという。
のちに天下人となった家康は、命を助けてくれた満光寺の鶏に 3石の扶持米を与えて恩に報い、
さらにその後の慶安 2年(1649)、家康の孫である 3代将軍家光により寺領20石が満光寺に与えられ、
以降、徳川家に庇護されることになる。
が、年貢を収めねばならなかった農民たちは、この満光寺の鶏を羨んで、
「山の吉田の満光寺さまの、とりになりたや にはとりに」
と、うたったと伝えられている。





では、また次回‼






0 件のコメント:

コメントを投稿